Symfoy Live 1日目
SymfonyLiveにきています。
symfony live 一日目
サンフランシスコで開かれているsymfony liveに来ています。
といっても英語できるわけじゃなくて、yandodさんに連れて行ってもらってる感じです。
ちなみに、彼はかなりsymfony liveの中の人たちと顔みしりって感じがしてすごいなぁと思った。
ゴールデンゲートブリッジと俺。
ちなみに寝ぐせじゃなくて風が強いだけですから!!!
Symfony Hackson.
会場は、本番会場ではなく下記のレンタルオフィス?的なところ。
http://nextspace.us/
かなりオシャレな場所で写真はとってないんだけど下記みたいな感じ
http://homerun.com/deal/next-space-coworking-sf-1?_a=tdm&SID=3-509679857-634121179305898750
- 会議室の扉はない
- トイレが異様に広いそこで働けそうなくらい
- ソファーで横になりながら開発してる若い人とかいた
これはなんか次世代オフィスの香りがしましたがたぶん日本じゃできないなぁとおもった。
こういう、レンタルオフィスというか、作業場所あったら通いたい。
やっていたことは下記で主な議論はTwitterではなくてIRCで進んでました。
http://trac.symfony-project.org/wiki/SfLiveSfHackday2011
「symfony 1.5までしかやってなかったが何か手伝えることはあるか」
とか、かなり、積極的に会話してて、あーアグレッシブだなぁという感じ。
会話も結構弾んでいたようで「TiwgのテンプレートをDBにいれるだって?それはかなり良くない方法だ」とか、そういう話も聞こえてきて、「あーTiwg使ってる人いるんだなぁ」とかささやかな感動がありました。
いや、作った人たちがいるからまぁ当たり前かなぁとは思います。
そういえば、サンフランシスコはとってもアグレッシブな町で、町あるいてるとかなりの頻度で話しかけられます。
「私日本語のこんにちわしってるわ」みたいなおばちゃんとか、「どっからきたの?(安藤さんと僕二人であるいてて)お前らカップルか。」「ちげーよwww」みたいな会話とかよくありました。
私は日本語しかできないのでドキュメンテーションすら手伝えないので、symfony-sandboxをずーっといじってました。
このイベントのために、sandbox自体が最新に更新されていて、いろいろ新しくなって楽だった。
実を言うとSymfony2は初めて触ったけどかなりDRYだったりDIでなおかつ実践的なFWだなぁと改めて思った。(まだ完成してないけどさ)
ハッカソンに参加してたメンバーは、アメリカ以外からきた人が多い印象で、たぶんここの発表者の大半が来てたように思えるけど誰が誰だかなんてわからないのであとで記憶と名前を一致させようと思います。
http://www.symfony-live.com/san-francisco/schedule
あとメガネっ娘もいました。
とりあえずメモがてら、後でもうちょっと詳しく書きます
ウノウ4年おわった
ウノウに入って4年がたったようだ。
今のところやめる予定は無いがTeZynga Japanにかわるかもしれないとのことで、ウノウでの4年間終わりなのかもしれない。
しかし、とても面白い4年だった。
できごと
面白かったことをぱっと思いつくだけで3つあげると
ラボブログでPukiWikiってすごい!って話かいたら、WikiPediaの創始者Jimmy Donal"Jimbo" Wales氏のあとに話すことになったでござる事件
われながら、なんかどうしちゃったんだという感じで正直一生誇れるような(?)話だと思います。
ムノウに買収された記事
最初のエイプリルフールネタ。
二時間くらいですごい勢いでつくったが考えてみるともしかすると、会社の脳裏にはこのころから、買収について考えることがあったのかもしれない。
ちなみに、btoこと尾藤さんの元ネタはこれです。
二年目には、実際にぷちぷちAPI作りました。(10分くらいで)声を一人で会議室で録音していたら、次の日女性社員が自分の声録音した音声をくれて感動した覚えがある。
かわったこと
自分がかわったなーということは一杯あるが、
お酒を飲む回数が増えた
月1くらいだったのが多いときは毎日飲んでた。
それもストレスとかじゃなくて、仲間がいたから飲みにいきたいと感じたんだと思う。
ただ、ちょっと飲みすぎだなと思い直して最近減らすようにしている。
もちろん会社で飲みにケーションが強制されるようなことはあってはならないけど、良い結果だと思う
ただ、外国の人はお酒本当に強いので付き合って、つぶれないように注意したい。
ここいちさんと呼ばれるようになった。
会社で本名でよばれることは少ない。
ただ、最近はcocoitiだと、英語圏「ここいてぃ」なので、cocoichiや、kokoichiと表現されることが多くなった。
よいと思ったことはその場でやるようになった。
副作用が無いよいことについてはその場で、ぱっと手を動かすようにした。
今もそうだけど、会社ではそういうことの積み重ねが重要なんだなと思い始めた。
あとは下ネタをいうようになったくらいか。
変わらなかったのは相変わらず彼女ができないこと。なんでなんだろう。
そんなこんなで、またこんな記事を書けるようなそんな人生を歩もうと思うし彼女も作ろうと思う。
■
昨日ふとしたきっかけで、simplateの作者の方がお亡くなりになってたことを知った。
もともと、進行性の病で引き継ぎ先を探していたことはしっていて、僕自身はというとスキルの問題とsimplateそのもの利用してないこと、また立候補者がいたことがあってみているだけだった。
http://slashdot.jp/developers/article.pl?sid=08/10/20/0610257
ふと昨日気になって調べていると、とある方のblogですでにお亡くなりになっていることと、別の方が引き継いだ方がリリースをされていたことを知った。
http://sourceforge.jp/projects/simplate/wiki/FrontPage
個人的におもったこと
オープンソースのビジネスなんたらとかリスクとかはあんまり興味がなくて、(だって会社でやってることだって主要なエンジニアが全部引き抜かれちゃうとかあるでしょ)。
いくつか思うところはあった。
全部は書ききれないが一つだけ書くとすると。
僕はソースコードを一種の人の意志がある文章だとおもっていて、そういうものが、読めて共感できたり共感できなかったりすることでいろいろなことを考えたりする。
今までは仕事で使いたいが、自分個人でも使いたいからオープンソースにするとか、いろいろなフィードバックうけて安定化させたいからとかそういう感情によらない部分のことを考えていたが
あまり自分の死を意識することはないが、たとえば、生きている間もふくめてそういう感情を揺さぶることがけきるようなコードを公開できるってのは、素敵だし。だれかが、別に永久に見ていなきゃいけないわけじゃないが、引き受けてくれるというのは素敵なことなんじゃないかなとおもった。
最後に
手を動かしてて引き継いだ方々、そして実際にリリースを行った。 FUJIOKA Satoshi さんにも敬意を。
Kazuhiro IIzukaさんには敬意とご冥福を。
ユニットホスティング
僕が勤めているウノウと同じビル内にあるDinoさんがだいぶ前に始めたサービス。
そういえばだいぶ前に宣伝してくれっていわれてたのを忘れてた。
いわゆるEC2みたいなものだけど、かなりと敷居が低いのでいいと思っている。
- 申し込みがえらい簡単
- サーバを設置して10分くらいで起動して使える
- 負荷が増えてきたら増設できる
あたりが個人的にはよかった、いまいくつか専用サーバで動かしているのをこっちに移動したいなーと考えている。
個人的にはOSがCentOS 64bitなあたりもマッチしている。他の選択肢がないのはちょっと辛いかもしれないけど・・。
いろいろ仮想マシンを操作できるAPIもあるので、落ち着いて時間できたら、今ノートでコンパイルしているRPMとかを夜あっちに仕込んで実行してどこかにアップロードして電源落とすみたいなスクリプト組んでみたいなーとおもってる。
グローバルなIPがあるので会社単位で借りて、開発マシンとして一人1台とか提供するのもありそーだなーとおもった。
第50回PHP勉強会参加しました
取り急ぎ発表資料をPDFであげておきます。
http://cocoiti.com/docs/phpstudy-50-cocoiti.pdf
個人的な思いとしては
- PHPerがオープンソーシャルにどんどん参加してもらって、ライブラリとかがバンバン公開されて、より本質的なサービスに近いコードを書くだけで済むようになったらいいな
- ウノウに興味もってくれて社員募集に応募してくれる人がいるといいな
- そして休みが増えるといいな
です。
応募は下記からできるみたいです。
http://www.find-job.net/fj/showjob.cgi?id=50212
手短ですが、これくらいで